前世―その2「僕、前世を覚えていますよ」

よく、現世で会う人は、前世でも会っていたと言われます。 この言葉を思い出すたびに、出会う一人一人を大切にしたいという思いが湧きます。中に自分を死ぬほど、苦しませた人がいたとしても、許すことができます。なぜなら、前世で、その人を苦しませたかもしれないからです。 また、前世を覚えている人が少ないのは事実です。

次に、前世を覚えている事例を1つ挙げたいと思います。
1998年9月、内モンゴル・フフホトで仕事をしていた時に、現世を覚えている、当時は30代半ばだったAさんとお会いしたことがあります。お話によると、Aさんは、生まれた時から 前世を覚えており、言葉はしゃべれなくても、ずっとそれをはっきりと知っていたそうです。前世は、ホルチン地方のある寺院の高僧だったそうです。若死しました。言葉をしゃべれるようなったとき、両親に前世のことを伝えました。 「前世の両親は、ここから東南の方向で住んでいます。村の名前は○○で、親の名前は○○です」両親は、最初は、幼い息子のこの話を取り合いませんでしたが、来る日も来る日も言うので、試しに、村に外部の人が来ると、人に村の名前と息子の前世の両親の名前を尋ね続けました。そして、ある日、ちょうど、Aさんの前世の両親が住んでいる村からやってきた人と出会って、事実であることが判明しました。その後、両親は、数人の親戚を連れて、Aさんと一緒にAさんの前世の両親に会いに行きました。それ以降、Aさんの現世の家族と、前世の家族が、親戚のように付き合い始めました。Aさんも、よく、前世の両親のところに行くようになりました。

Aさんとお会いした1998年当時は、前世の両親がご健在でした。 「4人の実の親がいて、幸せですね」と言うと、「はい、そうですね。前世の両親も自分をただ息子さんの生まれ変わりではなく、実の息子として、愛してくれています」と説明しました。前世は、ある意味では、宗教や信仰と関係がありません。なぜかというと、世界的な事例を見渡すと、記憶している当事者の宗教や信仰と関係がないからです。前世を覚えている当事者にとっては、現実であり、その現実を生きています。

なお、前世について、ご興味のある方は、サランゴワ著2019『ブォ・シャマニズムの現在―内モンゴル・ホルチン地方の新地平』pp.211-214、pp.267-270(牧歌舎)をご覧くださいませ。
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写真:前世を見てくれるシャマン歴83年の長老シャマン(1927年生)

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